誰もが心身ともに健康で過ごし、働くことができる環境を作ることは、企業にとっても従業員にとっても重要なことです。そのような中、令和元年に実施した企業調査によると、「社内において、性的マイノリティが働きやすい職場環境をつくるべきである」と考える企業は約7割に達しています。性別違和の程度により、トランスジェンダーをどう定義するかによって割合は異なりますが、回答者のうち2%がトランスジェンダーであったという調査結果がみられます。
職場環境を整えることと同様に、性的マイノリティの方であっても健康診断を受けることは、健康保持のために大切なことです。
一方、性的マイノリティの中でも、トランスジェンダーの方は、戸籍上の性別と、心の性別が異なるため、健康診断については受診をためらってしまう場合もあります。そこで、今回は、トランスジェンダーでも社内で行う健康診断が受けやすいような工夫について、そして、トランスジェンダーならではの特徴や、健康診断の結果やその判定についての注意点を医学的な観点から述べていきます。ぜひ参考にしてみてください。
トランスジェンダーとは?
まず、トランスジェンダーとはどのような人か解説します。性のあり方は、
- 性的指向:どのような対象を好きになるのか?
- 身体の性別:身体の性
- 性自認:自分の性別をどう捉えているのか
という3つの要素で考えることができます。
そして、この3つの要素の組み合わせによって、様々な性のあり方が存在します。
この図のうちの、「レズビアン」「ゲイ」「バイセクシュアル」「トランスジェンダー」など、性のあり方が少数派の人々は、LGBTや性的マイノリティ、セクシャルマイノリティと呼ばれています。
LGBTのうち、トランスジェンダーとは、「出生時に割り当てられた性(生物学的な性、戸籍上の性)」と、「実感する性(性自認、心の性)」とが一致していない人のことを指します。
さて、健康診断については、性的なあり方がどうであるかには関わらず、「労働者は事業者が行う健康診断を行わなければならない」として、労働安全衛生法によって定められています。
しかし、令和元年度の調査によると、トランスジェンダーの約18%が、職場の健康診断を受けづらいと感じているという結果が報告されています。
職場での健康診断は、男女別で行われる職場も多いという事情もあり、トランスジェンダーの約2割が定期的な健康診断を受けていない、という調査結果もあります。
しかし、先に述べたように、従業員が健康診断を受けるということは企業の義務でもあります。
そして、前述の通り令和元年に実施した企業調査によると「社内において、性的マイノリティが働きやすい職場環境をつくるべきである」と考える企業は約7割に達しているという報告もあります。
もしも、性的マイノリティであっても健康診断を受けやすい、といった魅力が企業にあれば、多様性に配慮した企業としてイメージを向上させることができ、また職員の離職を防ぐといったことも可能となるでしょう。企業側にとっても、トランスジェンダーの従業員にとっても、企業側が健康診断を受けやすい環境を整えることは重要といえます。
また、トランスジェンダーの方は、ジェンダークリニックという性同一性障害を取り扱うクリニックで、下記のような診療を受けていくことになります。
このように、ひとことにトランスジェンダーといっても、各人の段階はさまざまです。そして、実際に自分の心の性別に身体を合わせるために、治療を受けている方もいます。
(1)トランスジェンダーの方の治療
ガイドラインによると、治療の流れとしては、1)ホルモン治療、2)性別適合手術、という順番が一般的とされています。
①ホルモン治療
トランス男性(生物学的には女性、ただし性自認つまり自分の性別をどう認識しているのか、は男性)の場合、ホルモン療法では、トランス男性に対してアンドロゲン製剤という男性ホルモンに似た成分の薬を使用します。その結果、ひげや体毛が濃くなり、声が低くなるとともに月経は止まります。しかし、乳房は縮小しないため、乳房切除術を行うこともあります。
一方、トランス女性(生物学的には男性で性自認は女性)では、エストロゲン製剤を使用することで、乳房の腫大などの体型の変化を来します。しかし、ひげや体毛、声については変化しないので、脱毛やボイストレーニングをすることもあります。
②手術療法
手術療法は、性適合手術という性腺・性器の手術のことです。トランス男性に対しては乳房切除術、性別適合手術(子宮・卵巣切除術)、また一部の方には尿道延長術や陰茎形成術が行われます。
一方、トランス女性に対しては、性別適合手術(精巣切除術、陰茎切除術)、造膣術が行われ、希望例では豊胸術や顔面女性化手術が実施されます。その後医師による性別不適合の診断により、戸籍の名前の変更は比較的簡単にできます。
しかし、性別の変更には、性別適合手術が必要となります。なお性別の変更後は、保険証の性別も変更されます。
(2)トランスジェンダーに配慮した健康診断の工夫は?
上記で説明したように、ひとことにトランスジェンダーといっても、各自の治療段階により、身体の状態、声、服装、また、保険証の名前や性別は多様となります。カミングアウトをしているかどうか、誰にしているかどうか、つまり職場の人に打ち明けているかどうかについてなども、人それぞれです。
さらに、トランスジェンダーの方の場合は、戸籍上の性別と異なる性別として振る舞っている場合もあります。本人の意思に反してトランスジェンダーであることを周りに漏らしてしまうことを、アウティングと呼びます。戸籍上の性別が周りに知られると、トランスジェンダーであることが暴露され、アウティングにつながり、本人の心理的な安全性がおびやかされることになります。
また、健康診断の受診については、着替えをする場面があることや、検査項目が男女で別れることなどから、男女の区分に直面しやすいという側面があります。
では、トランスジェンダーならではの悩みに対応すべく、健康診断を受けやすくするための企業の取り組みについてのポイントとはどのようなものでしょうか。これから、トランスジェンダーの健康診断の結果や、その判定についての特徴についても、医学的な観点から解説をします。
アウティングのリスクがあることや、男女の区別があり心理的に苦痛である、という理由により、トランスジェンダーの人が健康診断を受けることをためらってしまうと考えられますので、それを防ぐことが大切です。
トランスジェンダーが健康診断を受けやすくするための企業の取り組みとは?
それでは、実際に職場で健康診断を受けやすくするための工夫を、以下に提案していきます。
(1)問診票の表記を工夫する
①問診票の性別欄を、「男・女・( )」などにする
「男・女」に〇をする形式では、トランスジェンダーなど戸籍上の性と自認する性が違う人は苦痛を感じることがありますので、体の性と自認する性両方を書けるようにすると良いでしょう。また、男女共用の問診票フォーマットにするのも、有効と考えられます。
②問診票の項目によっては、医師に直接話すことができるようにする
月経や妊娠の可能性など、トランスジェンダーの方にとっては答えづらい項目があります。もちろん、医学的には重要な情報なのですが、問診票では書くのが難しい場合があるでしょう。そのため、「答えづらい項目がある場合は、診察室で医師に直接お話しください」と明記しておくことも、トランスジェンダーの方にとっては安心かもしれません。
(2)フルネームではなく番号や名字、通称名で呼ばれることを希望することも選べるようにする
先述のように、それぞれの治療の段階で、見た目の性が名前から連想する性と違う人もいます。その中で、集団でフルネームで呼ばれると周囲から奇異の目で見られるかもしれないと心配し、受診しにくい人がいます。トランスジェンダーの方には、自認する性の「通称名」を持つ人もいますので、このように記載し、「はい or いいえ」で答えられるようにしておきます。「希望する呼称」(通称名など)を書ける欄も設けると、アウティングのリスクも減らせます。
(3)トランスジェンダーの当事者の希望があれば、一番早く受けられる順番で受信できるようにする
受診者が少ない時間に、トランスジェンダーの方が健康診断を受けられるよう配慮することも、心理的なハードルを下げ、健康診断を受けやすくするポイントの一つといえます。
(4)検査着を男女同じデザインにする
検査着を男女同じデザインにすると、男女の区別がなくなり、トランスジェンダーの方にとっては受診のしやすさが向上します。
(5)個別の更衣室を用意する
男女の更衣室の他に、カーテンなどで仕切られた個別の更衣室を用意することも有効です。トランスジェンダーの方で、例えばトランス女性の場合は、性適合手術を受けていない場合は、外見は男性です。その方が、女子更衣室を利用すると、他の女性社員が違和感や不安感を感じる可能性があります。個別の更衣場所を用意することによって、トランスジェンダーの方も、その他の方も双方が安心して着替えをすることができるでしょう。
また、やはり会社での一斉健診を受けることがためらわれる方については、個別対応(別日程・別機関)を選べるようにすることも、方法の一つとしてあげられます。企業側の産業スタッフや健康診断の運営スタッフ側も、受付時や検査時に、不用意にトランスジェンダーの方の個人情報を大声で話すなどのアウティングにつながる行動は避けましょう。
トランスジェンダーの健康診断の特徴は?
健康診断を受けた後、結果によっては、産業保健スタッフなどが結果の説明や、その後の保健指導にあたる場合もあるでしょう。その際に、役に立つ知識をお伝えします。
(1)採血結果などの評価は、どちらの性別を基準にするのか考慮する必要がある
例えば、トランス男性の場合を考えてみましょう。血液検査結果を見るときに気をつけないといけないこととして、男性から女性へと性別変更されていない場合は、「女性」としての基準値で判断されてしまうことがあります。トランス男性は、ホルモン治療を始めると、体は男性になります。そのような場合は、ヘモグロビンやヘマトクリットなどの項目については、女性としての基準に合わせると、高値として判定されてしまいます。
一方、トランス女性も同様のことが起こり、この場合はヘモグロビンやヘマトクリットなどの項目については、男性としての基準に合わせると、低値として判定されてしまうこともあります。
(2)ホルモン治療に伴う副作用が生じる可能性がある
ホルモン療法に伴って、血栓症など致死的な副作用が発生する可能性があります。
また、狭心症など心血管イベント、肝機能障害、胆石、肝腫瘍、下垂体腫瘍などが生じてくる可能性もあるので、これらには注意が必要となります。これらのことに留意しつつ、健康診断の結果の評価を行い、生活指導などに取り組んでいくと良いでしょう。
総括
今回は、トランスジェンダーの方が企業で健康診断を受けるにあたっての注意点や、受けやすくするポイントについて述べました。トランスジェンダーの方が健康診断を受けやすくなることで、受診する側にも企業側にもメリットが生まれてきます。今回の記事を参考にして、誰もが働きやすい企業を目指していきましょう。