社労士という仕事をしていると、直接であれ間接であれ365日「人間」と接することになる。そして興味深いのは、会社側の人間(使用者)と雇用される側の人間(労働者)との間で起きるトラブルは、業種や規模に関係なくほぼ同じ顛末を辿るということだ。
労使の関係性が友人関係であれば、軋轢が生じることは少ないだろう。しかし、好んで集まっているとは限らない「職場」という環境においては、ルールを守らなければ制裁が課せられる。これは至極当然のことで、規則がなければ秩序は保たれないからだ。そして信頼関係が崩れると、結果としてメンタルにダメージを受ける場合がある。
今回は顧問先での出来事について、会社と労働者、そして第三者である社労士の立場からのアプローチを試みる。ただし、コンプライアンスの観点から詳細は伏せてあることをご容赦いただきたい。
会社の言い分
アパレル関連のA社は今年で創業10年目に入る。最近では業務の効率化を図るべく、既存のアナログ作業をデジタル化するなど、会社自体が新たな転換期を迎えていた。社員Xは、創業当初から在籍するベテラン社員。責任感が強く真面目な女性だが、自ら意見を発することが苦手な性格ゆえ、ホウレンソウの徹底が課題とされていた。A社の従業員は15人程度で、ほぼ全員が営業職。スタートアップメンバーのXは社長からの信頼も厚く、営業に加えて経理の責任者も任されていた。その期待に応えるべく、キャッシュレス決済導入の指揮を執るなど、A社の成長に貢献していた。
そんなある日、社長が帳簿のチェックをしていると、請求額と入金額が合わないことに気がついた。担当であるXに確認したところ、キャッシュレス決済は月遅れで処理されるため、入金が追いついていないとのこと。Xからの説明を信用した社長は、その後の入金確認をすることなく数か月が経過した。
入金遅れの事実が発覚してから半年後、社長は青くなった。未回収の売掛金が倍増していたのだ。再びXを呼んで説明を求めるも、前回と同じ回答をするばかり。納得のいかない社長は、Xを厳しく問い詰めた。すると彼女は泣きながら「申し訳ありませんでした」と、謝罪を述べたのだ。
そうは言えど何か事情があると察した社長は、Xを責めることはせずに事の経緯に耳を傾けた。「取引先が多忙を理由に、キャッシュレス決済への切り替えが保留になっています」Xは申し訳なさそうに説明した。そこで社長は早急に売掛金の回収と、保留となっている取引先の手続きを完了させるように指示をした。
「その後は大丈夫ですか?」数日後、社長がXへ尋ねると、「はい!ご迷惑をおかけしました」と彼女は笑顔で答えた。
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決算を目前に控えたある日、怒髪天を衝く勢いで社長がXを呼びつけた。「いったいどういうことですか?あれから一度も売掛金の入金がないじゃないですか!」なんと、万事順調に進んでいると報告したアノ言葉は、嘘だったのだ。信頼していた古株の社員に裏切られ、堪忍袋の緒が切れた社長は思わず、「売掛金を全額、あなたに支払ってもらいます!」と怒鳴りつけた。その後Xは無断欠勤を続け、後日「適応障害」の診断書が送られてきた。都合が悪くなれば病気を使って逃げようとする姿勢に激怒した社長は、背任罪でXを告訴すると言い出した。
労働者の言い分
社員Xは、HSP(Highly Sensitive Person)だった。HSPとは、外界の刺激や体内の刺激にきわめて敏感に反応してしまう気質を指す*1。勘違いされやすいが、HSPは病気ではなく気質(特性)であり、人口の約15~20%が当てはまるとされている。自身の気質についてあえて会社や他人に話したことはないが、それによるトラブルが発生することもなく、穏やかなワーキングライフを送ってきた。
しかし創業10年目の節目を迎えた際に、社内で様々な変化が起こり始めた。これまでは営業と経理を半々でこなしてきたXだが、社長が「業務のシステム化」を強く望むため、経理処理の電子化を優先的に進めなければならなかった。
相手の顔色や言動からその人の気分を敏感に感じ取るXは、取引先へキャッシュレス決済の依頼をするも、乗り気ではない相手にそれ以上強く押すことができなかった。「そのうちやりますよ」という返事を受けて、先方にとって都合のいいタイミングで切り替えてもらえればいい、と考えていた。
社長から、入金確認ができないことについて追及された際も、仕事の責任を果たせていない罪悪感と、取引先へ無理矢理頼み込むことへの嫌悪感から、思わず嘘をついてしまった。しかし、いずれ取引先にとって都合のいいタイミングが来ると信じていたため、遅かれ早かれ売掛金の回収は完了すると思っていた。
それから半年が経過したが、状況は変わっていないどころか悪化した。無論、その間にXは何もしなかったわけではない。事あるごとに取引先へ打診したが、キャッシュレス決済の導入に後ろ向きな老舗は、「こちらのタイミングでやると、何度も言ってるじゃないですか!」と激怒した。そのたびに傷つき、会社と取引先との板挟みに苦しんだ。しかし社長に安心してもらうためにも、Xは「大丈夫です」と嘘をついてしまった。
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とうとう社長から呼び出された。当然ながら大目玉を食らったが、それ以上に恐ろしい発言があった。「未回収の売掛金を、あなたが払いなさい」その額は、Xの貯金でどうにかなる金額ではない。親に頼むことも、借金をすることも難しい。この先、いったいどうしたらいいのか――。
翌朝、Xは起き上がることができなかった。食欲もなく、夜になると出勤に対する恐怖で眠ることができなかった。家族に付き添ってもらい心療内科を受診したところ、「適応障害」の診断を受けた。責任感の強いXは、無断欠勤よりも事情を伝えたほうが誠実だと考え、会社へ診断書を送付した。
社労士の視点
顧問先のA社は、敏腕社長のワンマン経営で成り立つ中小企業。企画立案を社長自らが行い、少数精鋭とコストカットを掲げて業務に邁進していた。5年前、関与をはじめた当初から気になる社員がいた。それがXだった。関与して間もなく、Xが3日間連続で欠勤したため会社へ理由を尋ねると、「少し休ませてほしい、と連絡がありました」とのこと。この時点で「気にかけておくべき人物」という認識を持った。
それから数か月後、またもやXが連続で欠勤した。今回は診断書の提出があり、「気分障害のため、1週間の自宅療養を要する」との記載があった。会社に対して、Xの業務内容や労働時間に問題がないかを尋ね、特段そういった事実は認められないことを確認する。それでも、職場におけるフォローを怠らないよう助言した。
その後Xの欠勤は消えたため、ある程度症状が落ち着いたのだろうと判断した。ところがちょうど一年前、Xの遅刻回数が急に増加した。むしろ定時に出勤することのほうが少ない。しかも数分の遅刻ではなく、2~3時間といった大幅な遅刻がみられる。それに伴い給与も控除されるため、明らかに収入が減少しているはず。この件について会社に確認したところ、「コロナ禍でリモートワークに慣れたせいか、遅刻グセがついてしまったようです」と、冗談まじりの返事があった。これが事実ならば笑い話だが、もしそうでないとしたら――。
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嫌な予感は的中した。Xは会社から未回収の売掛金の支払いを求められ、それを受けてXは、「パニックになるので、会社の人とは話せない」と伝えて音信不通となった。そこで、顧問社労士の私がXと面談をすることとなった。
どの職場でも起こるメンタルヘルス問題
今回の事例からいえることは、労使それぞれに言い分はあるものの、問題の本質が伝わりにくかったり、かなり追究しなければ知り得ない事実があったりと、プライバシーにかかわる部分に原因があった。労使間の溝として、
- 会社は、労働者の気質やメンタルヘルスの不調に気がつかなかった
- 労働者は、HSPであることを会社へ伝えていなかった
ということが挙げられる。これらは業務に直接関係するポイントではないため、あえて会社へ伝える必要があるのかどうか、労働者が躊躇するのは当然のこと。しかし会社には、労働者のメンタルヘルスに配慮する義務がある。
労働契約法第5条では、「使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする。」と定められている。この「生命、身体等の安全」には心身の健康も含まれており、労働者からの申し出がなかったとしても、会社がケアしなければならない部分なのだ。
たとえば遅刻が多い労働者がいたら、遅刻の原因を把握し改善策を講じるというのが、会社の正しい対応といえる。その過程で、外見からは想像もつかない精神疾患が発覚する可能性もある。私の経験上、遅刻や欠勤の多さというのは、何らかの精神疾患や精神的に不安定な状態と結びつく場合がほとんど。どんなに笑顔で元気な労働者でも、心の奥では悲痛な叫びを抱えていることもあるのだ。
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労働者は、会社にとって「使い捨ての駒」ではない。人間でいうところの「手足」というだけでなく、目や鼻であり、髪の毛や爪でもある。よって、安全配慮義務の観点からだけでなく、自身の健康管理に気を配るかのように、会社の健康管理として労働者のメンタルヘルスにも目を光らせてもらいたい。