パワハラ防止法の拡大で「ハラスメント保険」に申し込みが殺到…その背景は?

いま、保険業界にひとつの変化が起きています。従業員に対する賠償金や裁判のための弁護士費用などを賄う「ハラスメント保険」に企業からの申し込みが急増しているのです。

背景には、2022年4月から「改正労働施策総合推進法(以下、パワハラ防止法)」が中小企業にも適用されたことがあります。実際、パワハラによって本人だけでなく会社が訴えられることは珍しくありません。中小企業でのパワハラの実態と過去の裁判例などとともに、今回はこの動きについて確認していきましょう。

「パワハラ保険」4年前より倍増

いま、損害保険大手では「ある商品」がかつてない伸びを示しています。各社が販売する「雇用慣行賠償責任保険」という商品への加入が増え、2022年3月末時点での契約件数は大手4社の合計で約9万件にのぼりました。4年前に比べて倍増しているということです。

この「雇用慣行賠償責任保険」とは、企業がパワハラやセクハラ行為で従業員から訴訟を起こされた場合、敗訴した際の損害賠償や慰謝料、訴訟費用などを補償するというものです。「パワハラ保険」とも呼ばれます。

パワハラ保険への申し込みが殺到している背景には、2022年4月から「パワハラ防止法」が中小企業にも適用されたことがあります。パワハラ防止法は2020年6月に施行されましたが、パワハラ防止措置については大企業だけが義務とされていました。しかし、今年4月以降、中小企業についても、違反すると厚生労働省の指導や勧告の対象になりました。

「パワハラ防止法」に対する中小企業の意識

一方で、中小企業のハラスメント防止に対する意識は高いとは言えません。日本損害保険協会が去年7月、全国の中小企業を対象に、企業のリスクに関するアンケート調査を実施しています。

その中でパワハラ防止法の中小企業への適用については、61%が「知らない」と回答しています。また、ハラスメントの防止措置についても「特に実施していない」が65%にのぼっています。

しかし、実際にハラスメントなどによって従業員から損害賠償請求を受けた企業に、損害賠償が会社にもたらした被害額をたずねた質問もあります。それによると、38.9%が「100万円未満」としていますが、「500万円〜1000万円」と回答している企業が22%存在しています(図1)。

【図1 】

ハラスメント被害額
出所:「中小企業のリスク意識・対策実態調査2021 調査結果報告書」p11日本損害保険協会

ハラスメントにおいては「企業が被害を受けた」という言葉は適切ではないかもしれませんが、実は自然災害や感染症、サイバー攻撃など他の被害に比べて、ハラスメントが会社にもたらした損害額は高い水準にあると言えます。
また、ハラスメントについては、企業にとっての被害について、54%の企業が「被害がこんなにも大きくなるとは思っていなかった」と回答しています(図2)。

【図2 ハラスメント被害についての中小企業の考え】

ハラスメント被害についての中小企業の考え
出所:日本損害保険協会「2021年・中小企業のリスクに関わるニュース3選 『まさか自分の会社が・・・』とならないために “中小企業に必要な保険”が一目でわかる特設サイトを本日公開!」

パワハラ認定は暴言や行動だけではない

従業員がパワハラをした本人ではなく企業を相手取った裁判を起こし、実際に「企業の責任」が問われるケースは珍しいことではありません。「パワハラ」とは必ずしも心身に対する攻撃だけが問題視されるわけではありません。そして、パワハラと認定されるのは暴力的な言動だけではありません。過去にはいくつかの裁判例があります。

有給取得の妨害で損害賠償を認定

平成24年に大阪高裁で、従業員が上司や会社代表、会社そのものを被告としたこのような裁判がありました*3。

2つの争点がありました。

  1. 従業員が有給休暇取得を申請したところ、上司が当該有給申請により評価が下がるなどと発言して有給休暇取得を妨害したこと、そして総務部長や会社代表者らが上司の行為を擁護した発言などがある。
  2. この従業員は有給を取り下げましたが、有給を取る予定だった日にすでに上司自身が担当するはずだった業務をこの従業員に割り振った。

一審の大阪地裁では1つめの事案だけを違法と判断しましたが、二審の大阪高裁はどちらの事案も違法と判断し、慰謝料の支払いを命じました。

派遣労働者が派遣先に慰謝料を求める

また、損害賠償を認定されるのは自社の社員からの訴えだけではありません。こちらも大阪高裁の判決ですが、派遣労働者として就労していた従業員が、派遣先の従業員らからパワーハラスメントを受けたため、被告会社での派遣就労をやめざるを得なくなったという事案です。裁判所は派遣先の会社に対し、慰謝料等の支払いを求めました。

ここでは、言葉を発した側と受け止めた側の認識の違いが取り上げられています。作業を指示通り行わなかった従業員に対して発した「殺す」という言葉について、発言した側は「いい加減にしろ」という程度の意味だと釈明しましたが認められませんでした。

小手先の「防止策」では済まされない

ここまで、ハラスメントに関する企業意識や裁判例などをご紹介してきました。「パワハラ保険」が人気を博していたとしても、もちろんそれはあくまで「最悪の事態」に備えたものだと考えなければなりません。保険に入ることは企業としては悪いことではありませんが、それで「裁判を起こされても補償されるから大丈夫だ」というわけにはいきません。ハラスメントの末に命を絶つ断つ人も存在します。その命をお金だけで解決するのは難しいものです。

また、そのような事態に至らなかったとしても、ハラスメントの被害者にはトラウマが残ります。信頼の回復はそう簡単なものではありませんし、SNSが普及している今は、簡単に事実が世間に知れ渡ってしまいます。「無理をさせたのは人手不足だから」「言葉のあや」というわけにはいかないのです。

また、近年ではメール1通も裁判ではじゅうぶんな証拠になり得ます。上司・部下という関係を超えて、「人として尊重する」という姿勢がなければハラスメントの防止は難しいことでしょう。そして、全社員の意識を統一する必要があります。法規制が厳しくなった今、「これまでの習慣」は許されなくなっていきますし、法改正をきっかけに、従業員が訴訟を起こすことへのハードルは下がっていくでしょう。

 

清水沙矢香

執筆者清水沙矢香
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2002年京都大学理学部卒業後、TBSに主に報道記者として勤務。社会部記者として事件・事故、テクノロジー、経済部記者として各種市場・産業など幅広く取材、その後フリー。取材経験や各種統計の分析を元に関連メディアに寄稿。

20以上の業歴による経験を活かし現場に寄り添い、

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