人間組織は「ゴリラ社会」から「サル社会」になりつつある?ゴリラから学ぶリーダー論とは

ゴリラやサルは、人間に近い霊長類です。どちらも人間同様、社会生活を営んでいます。しかし両者の社会の様相は大きく異なり、人間社会はどちらかというと「サル社会」に近づいているのだといいます。一体どういうことでしょうか。ゴリラとサル、それぞれの社会を比較しながら人間社会の様子について、また、リーダーが学ぶべきことについて探ってみます。

ニホンザルの赤ちゃんが微笑んだ

2017年に、京都大学の霊長類研究所がこんな研究発表をしています。
―生後4日から21日のニホンザルの赤ちゃんを観察していた結果、睡眠中に唇の端が上がる「自発的微笑」が見られたということです。人間で言えば、口角を上げて微笑んだ、というところでしょうか。

ヒトやチンパンジーはなぜ微笑むのか

私たちヒトも、生活の様々な場所で笑顔や「微笑」を使います。よく考えれば不思議なことに、楽しい場面だけでなく笑顔を見せます。社会をうまく生きる道具として笑顔を使っているのです。愛想笑いはその典型です。その起源とされているのが、この論文で語られている睡眠時の「自発的微笑」です。それまで新生児の「微笑」は、ヒトや、ヒトに最も近いチンパンジーでしか見られなかったといいます。しかしニホンザルの赤ちゃんにもあることがわかったというのがこの研究の成果です。そしてこの「自発的微笑」にはヒトやチンパンジーと似た部分もあるのだといいます。

サル社会で微笑みは「生きるための訓練」?

そのニホンザルの赤ちゃんの自発的微笑を捉えたのが下の写真です(図1)。

とても愛らしい寝顔です。「気持ちよさそうだな」と感じる方も多いことでしょう。

しかしこの表情は、今後社会を生きていくための「重要な訓練」をしているところなのです。先述しましたが、ヒトは笑いたくない場面でも「愛想笑い」という微笑みで場を丸く収めようとします。

ニホンザルの社会はもっと熾烈です。ボスを頂点とした群れの中では優劣や上下関係がハッキリしていて、下位のサルが目の前で上位のサルに餌を奪われることは日常茶飯事です。下位のサルは、上位のサルに遭遇したときに「グリメイス」という表情を見せます。笑っているような顔で、相手に対する恐れや服従を意味しています。上位のサルから敵だと思われないように媚びを売っているのです。

そのために必要な筋肉を、赤ちゃんの時から鍛えている—研究では、そのような可能性が示唆されているのです。そう考えると筆者の中には、なんだか同情のような気持ちが芽生えてしまいます。サルも、遊んでいて楽しいときには笑顔を見せます。しかし、楽しいときの笑いにはこの筋肉は使わないのだそうです。

ヒトもそうかもしれません。楽しく笑うときにはあまり口まわりの筋肉を意識しませんが、愛想笑いをするとき、あなたの顔の筋肉はどうなっていますか?

「サル化する人間社会」とは

さて、京都大学の前総長でゴリラ研究の第一人者でもある山極寿一氏の著書「サル化する人間社会」が一時期話題になりました。タイトル通り、人間社会は「サル化」しているという指摘です。「猿真似」「サル知恵」—私たちは「サル」という言葉を時折、あまり良くない意味合いで使うことがあります。しかし人間の社会も「サル」になりつつあるというのです。

どういうことでしょうか?山極氏はサル社会とゴリラ社会の違いから、人間社会に対する洞察を深めています。サル社会は先述の通り、「上下関係」「優劣」「勝ち負け」がハッキリとしています。コミュニケーションせずとも上下や優劣が分かっているため、愛想笑いを利用して最初から敵対を避けるのです。その結果、こんな状況が生まれていると山極氏は語っています。

相手の状況を考え , 今の自分が置かれている立場を考えながら , その場に応じて判断していくのではなく , ある定まった関係(サルだと強い・弱い)に基づいて物事を判断してしまうようになります。

その例として ,「食物があったら強い者がとる」というルールがニホンザルにはあります。

そのルールには「この状況では相手に譲ろうか?」とか ,「自分が先にとってもいいか?」などを考える必要がないのです。

強いか・弱いかだけで , 誰がとるかを決めてしまいます。その『ルール化』に人間の社会もなりつつあるのではないかと思います。

―引用:環境省「第16回 京都御苑ずきの御近所さん」p.1-2

これを煮詰めていくと、「正解でなくても、叱られなければ良い」という思考停止に陥ってしまいます。実際、そのような考え方は若い人に広がっているように感じられます。

ゴリラ社会とサル社会の違い

そして、相対するのがゴリラの社会だといいます。ゴリラの社会には「優劣」がありません。群れのリーダーがメスや子供と食物を分け合うのはごく「当たり前」のことで、しかも「向き合って食事をする」のです。

一方のサルはどうでしょうか。動物園のニホンザルが餌を掴むとその場を即座に離れ、自分ひとりの場所で食べる姿を目にしたことはないでしょうか。真逆なのです。そしてゴリラ社会はサル社会と違い、子供やメス同士が喧嘩になったとき、第三者はどちらに加勢することもなく介入に入り、その喧嘩に「勝ち」も「負け」もつけないのです。

人間がゴリラから受け継いだことは ,「体の大きい・小さいだけに関わらず , 状況に応じたお互いの関係が変化する中で , 判断をする」ということです。

相手にとらせてやるかわりに違うところで自分がとる , というような駆け引きが出てくる訳です。

そういった駆け引きがあるのは ,「相手の立場に立って物事を考えられる」ということで , いわゆる共感というものを利用しながらやることです。

―引用:環境省「第16回 京都御苑ずきの御近所さん」p.2

ゴリラ社会から学ぶリーダー像

こうした違いを見ていくと、サルとゴリラの違いは「リーダー像」にも当てはまりそうです。というのは、サルは「地位」にアイデンティティを持っている一方、ゴリラのリーダーは「自分の役割」にアイデンティティを持っているということです。サル社会では、自分の地位を脅かそうとする相手を徹底的に排除します。それも、力や地位を利用した方法を取ります。

一方でゴリラ社会にはサルのような序列はなく、リーダーの仕事は喧嘩の勝ち負けを判断することでなく、双方を対等に招き決着させることです。ゴリラのリーダーは、体の小さいゴリラやメスや子供に食物を与えるのは当たり前の自分の役割であって、優劣だとは考えていないのです。行きすぎた序列でメンバーを思考停止させるのか、相手の立場に立って物事を考えられるメンバーを育成するのか。リーダーが目指すべき方向は明らかではないでしょうか。

清水沙矢香

執筆者清水沙矢香
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2002年京都大学理学部卒業後、TBSに主に報道記者として勤務。社会部記者として事件・事故、テクノロジー、経済部記者として各種市場・産業など幅広く取材、その後フリー。取材経験や各種統計の分析を元に関連メディアに寄稿。

20以上の業歴による経験を活かし現場に寄り添い、

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